ふろしき Blog

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ピクシブを退職します - 創業期から成長期への転換を越えて理解した10の教訓

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2021年11月末にピクシブを退職します。

先日、なかなか読み応えがある退職エントリーが上がっていました。ものすごい熱量が感じられたし、それに自身のネガティブな過去なんかも隠すことなく堂々と語っていて、自信に満ち溢れたいい記事だと思いました。

note.com

僕自身も、過去の失敗談を交えつつ、それを10の教訓という形で内省し、ピクシブで行ってきた6年4ヶ月の活動を締めてみたいと思います。最近マネージャーになって苦しんでいる人とか、自分のボスが何を考えているのかわからないという人の、ちょっとしたコンテンツになれば良いかなと思います。

1. 入社直後が一番、会社を客観視できる

前職はNTTコムウェアというSIerでした。インターネットが大好きだった僕は、30歳を目前にして気持ちが抑えられず、ネット業界への転職活動を開始。そして2015年8月に、ピクシブ株式会社へと入社します。

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2015年、HTML5 Expert.jpのインタビューを受ける入社当初の様子

NTTグループでは一時、エンジニアがネット企業に大量流出するという騒動も発生したようです。しかし、当時はまだ僕みたいな転職者が珍しかったようで、ピクシブの人々もまるで異人でも見るような目をしていました。

とはいえ、ピクシブもわりと人のことを言えなくて。全社の会議では突然アイドルの新曲ライブがはじまるし、前列では合いの手も入るし、社員旅行では役員がDJライブでぶち上げるしで。こんなの、どうみてもお前らのほうが異人じゃないか!!なんて感想は、僕でなくても抱いたと思います…!!!

人間というのは不思議なもので、これだけ色々とツッコミを入れ放題な環境も、2週間ぐらい過ごせばすっかり慣れてしまいます。何がツッコミどころなのかわからなくなってしまいます。僕なんかは、むしろ居心地いい会社だなって思ったりもしました。

初期配属先は「BOOTH」、クリエイター向けに作品を販売するためのECサービスです。このプロダクトで、僕はショップ型からモール型へと、ユーザー体験をピボットさせるプロジェクトを任されました。

毎週末にアニメイト池袋店へ足を運びアイデアを探っては、MVP(最小機能の製品)を定義して、本番環境でA/Bテストして、Google BigQueryの数値とにらめっこ。そんなことを、数名のチームメンバーとともに約1週間サイクルで更新し続けていました。その成果は、2021年11月現在もそのままBOOTHに残されています。レコメンドやリテンションなどのお馴染みな機能も、この当時に作られたものです。

このような進め方は、リーンスタートアップやリーン開発と呼ばれるものなのですが。ピクシブの場合、リーン本来の目的に沿っているかと言うとそうでもない、リーン風味がする開発手法(?)という印象を当時の僕は抱きました。

経営側による適度なリーン否定の姿勢は、間違いなく創業期を成功へと導いた要因だったように思えます。しかしのちに成長期へと突入すると、ピクシブはここ数年の成功実績に勢いづいてリーンの風味感をどんどん高めはじめます。新CTOはContinuous Deliveryという言葉を高らかに唱え、新COOはコホート分析でユーザーの状態を説明し、UXリサーチャーという新たな職種が出現することにもなります。

こうした中で、何かと色んな問題が浮上してきたのですが、僕はそれがあたかもピクシブのユニークな問題のように捉えていました。しかし転職者が発した「これってリーンのデメリットが表面化しているだけなのでは?」という一言で、僕はこの会社に慣らされていることを自覚するのでした。

「リーン?なるほど!すっかり忘れていたが、僕らはそういえば、リーン風味だった!」

会社は一度中に入ってしまうと、どこが外界と違うのかが全然わからなくなります。自分の所属組織なので、知ったかぶりをしたくもなるものです。しかしその気持はぐっとこらえ、組織を客観視できる距離にいる人間の意見聞けば、実に多くの示唆を与えてもらえるものです。しかしそんな都合が良い人なんて滅多にいるわけでもなく、入社したばかりの人が最も手軽に思えます。新人はいつだって新しいアイデアをくれる…!

2. 新しいことは「自分が何かしなくては」という気持ちからはじまる

今ならば笑い話にできることなのですが。入社前の2014年頃、僕は知人に「ピクシブを受けてみたい」なんて相談をして、その際彼らからは「やめとけ」と止められたんですね。

当時のピクシブには、「なんか強い奴らがいるらしいぞ」っという噂こそ聞こえてきたものの、ネガティブな騒動もあったりして。創業期のめちゃくちゃ独特な雰囲気で、ワイワイとはしゃいでる姿を外から観測されたら、どんな会社であれ色々な印象を持たれるものでしょう。ばりばり宣伝費使いまくって、企業イメージを整えているような会社に比べたら、たしかに「なんか怪しそう!」とか思ってしまいますよね。

実際にピクシブに入ってみると、「創作活動がもっと楽しくなる場所を創る」という企業理念は現場にバリバリ浸透していて。もう少しぐらい金稼ぎのことを考えてもよいのでは…?と心配になるほど、徹底してクリエイターファーストの精神でサービス運営を心がけていました。

そんな様子を見せられ、「外と中ではやっぱり印象は違うものなんだな」という感想を抱いたものでした。

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2015年、当時の社員にみせてもらったピクシブ製自作サーバー。カルト的(?)な人気があった

ネガティブな方向へのギャップは埋めたほうがいいに決まっている。働いてる人間も自分たちの仕事に誇りを持ちたいし、ピクシブに興味を持ってくれた人たちも気持ちよく入社を決めたいですしね。

そういうギャップって、僕なんかでも何かしらの方法で埋めれるんじゃないか?と思うようにもなりました。

僕は20代の頃、それなりに真面目にソフトウェアエンジニアをやっていまして、メシの種になっている技術のコミュニティに対する貢献もコツコツとすすめてました。技術雑誌への寄稿もそれなりの数をこなしたし、1,000人規模のテックカンファレンスにはコアメンバーとして何度も関わったものです。Microsoftから何度かアワードも頂きました。

関わっている技術に対する世の中の評価を変えようとする活動が、僕にとっては生活習慣のようなものでした。だからこそ、関わっている組織に対する世の中の評価を変えることも、自分が今までやってきたことの延長でできそうな気がしたんですね。次の瞬間には、僕はもうアクションを起こし始めていました。テックカンファレンスにスポンサーをしようとか、経営に提案をしていました。

会社で何か新しいことを起こそうと思った時、大事なのは「自分が何とかしなくては」という気持ちです。

そういうことを言い出す人は、僕なんかも含めて、周りから一癖あると見られることが多いようでして。かなり生意気な性格にみえたり、やたらと暑苦しい奴だとみられたりもします。けど、そういう熱量に上手く応えていかないことには、新しいことは組織で起こせないものです。

こういう人を自分の周りで発見したら、一番放置してはいけないと気にかけてしまいます。この人がやる気を失ったら終わりだと、組織の健康度をみるためのベンチマークにしていました。

3. 役割は、やりたいからなるものではない

ピクシブへ転職直後、僕はBOOTHのような事業に関わると同時に、エンジニアリング組織の改善活動にも関わり始めたのでした。会社のイメージを変えたいという気持ちから、僕は自分のためではなく、会社の仲間のために技術コミュニティ活動を扱ってみること始めたのでした。

自分が目立つのではなく、会社にいる人間が輝けるような場を作っていく活動です。自分自身はあくまで影武者に徹するというのは、とても不毛なことにも感じられたし、なかなか慣れないものでもありました。

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RubyKaigi 2015へのスポンサー、入社最初の大規模な活動

それに、会社のためということは、会社の意思決定も伴うわけでして、それなりの困難も伴います。ギリギリでひっくり返り他社さんに多大なご迷惑をおかけしたこともあったし、計画が承認されず仲間に無駄働きをさせてしまったこともありました。自分のためだけにやっていた時の方が、何十倍も楽だと思いました。

しかし、様々な失敗を乗り越えていく中で、エンジニアリング組織の運営によって、いかにして事業や経営の課題を解決していくのか、という視座を学ぶことにもなりました。組織や仲間のアウトプットが変わっていく実感に喜びを感じるようにもなりました。

当時の僕は、経営からも過度といえるほどの評価を受けていたと思います。生活習慣ぐらいのつもりでやっていた組織の改善活動に対しても、過度な期待が集まっていたんじゃないでしょうか。僕自身はマネジメントをやりたいなんて一度も言わなかったのですが、結果としてはマネジメントを期待されるようになっていました。

ただのエンジニアだった僕は、入社後1年半ぐらいでいきなり「執行役員 兼 CCO(Chief Culture Officer)」を拝命することになりました。CCO自体はうまく行かなかったのですが、ピクシブにいた1/3ぐらいの期間は何かしらの形で執行役員として関わっていました。

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2016年、CCO就任直後、CTOと一緒にインタビューを受けた記事の写真

僕の元部下で、マネージャーやテックリードをお願いされた人たちは8人ぐらいいたと思います。彼らはみな、彼らのような振る舞いをする人がこの会社に必要だと思われて、それで肩書を与えようとしたんです。けど、実際に肩書をつけようとすると、嫌がられるということが多かったんですね。あるマネージャーは、僕との内示の面談を、全然受けてくれませんでした!めちゃくちゃ困りました!

肩書が欲しいという人はそれなりにみたことあるけど、肩書をつけたくなった人たちはゆるく拒否される、という現象が何度か続きました。でもよくよく考えたら、僕も別にマネジメントをやりたいなんて一度も言ってませんでしたし、こうなって然るべきことかなぁと納得したものです。

そんな体験を通じて僕が理解したのは「肩書や役割とは、やりたい人が得るのではなく、既にそうなっている人が得るものだ」という原則でした。

4. 自分の能力以上に、仕事や会社が伸びることはない

CCO就任時、当時のマニュフェスト的なものとして「社内のイケてるやつはイケてるって言われ、社外にもイケてるて言ってもらえる」という、そういう構造を作りますという宣言をしたんですね。

プロダクトやサービスを作るのは人です。ピクシブでイケてるプロダクトを作れる人とはどういうスキルを持つのか、規範なりをちゃんと言語化して、認めてもらえるような環境を作る。その上で、社外に対してもこういう奴らと仕事をしたいよなって伝えていこうじゃないかと。

しかしそんなマニュフェストも、僕自身の手によって実現されることはありませんでした。志半ばで、CCOを降りることになったのです。

当時のピクシブは、創業期から成長期への転換が求められていました。フェーズの転換というのは、望んで行うものではなく、そうならざる得ないから行うものなんだなって。就任して早々、いきなりそんな壁にぶつかったのでした。

各チームのリーダーが、自分たちのチームだけを回しているうちは全く問題にならないでしょう。チーム内だけで仕事をしている人には、問題が起きていることすら気がつけないと思います。しかし、リーダーがチームの外にコントロールを求めた時、あるいは会社全体でなにか統率を図り物事を進めようとした瞬間に、「あぁ僕たちって、もう創業期っぽいことができないんだな」ってことに気が付きます。

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2016年冬にピクシブ初のTVCMを打つという、創業期の末の象徴的なプロジェクト

当時のピクシブは、社員数が130人を超え、スピード感に頼った事業作りにも限界がきていました。名前がわからない社員がいる、という声も聞こえてきました。クラスメイトのような距離感で関わることも難しくなってきます。大声で人々に叫べば、会社全体に考えが届く!みんなが一緒に動いてくれる!…なんていうことも簡単ではなくなっていたんですね。

このような成長痛ような事象が、あちらこちらで発生するわけです。だからこそ、このフェーズに入った組織は、統率のためにシステムを改める必要があります。

僕らにはそんな知識も無かったわけで、無い袖は振ることなんてできません。結果、やらなくてはいけない事はやまほどあるのに、本当に何も進まないという、かなり厳しい状況に追い込まれました。

自分が知っていること以上のことを、組織では実現できないという、大いなる教訓を得たのでした。学ぶことのみでしか解決はできない。短期的には運が解決しても、長期的スパンになると運は関係なく能力のみしか価値を持たないということです。

5. 自分がすべきことは、周りが必要としていることでもある

何もすすまない。そのことに危機感を感じた当時のCTOのedvakfは、今自分にできる価値発揮をやろうと決意し、エンジニアリング組織周りの仕事は手放して、新オフィスの立ち上げのため福岡へ発ちました。誰もオフィス立ち上げをやってくれなかったので、経営のニーズには完璧にハマっていました。すごい決断力だと思いました。

アニメイトラボという会社でCTOをしていたbashもやってきました。彼は、今メルカリジャパンでCEOをしている田面木さんと会社を経営していたのですが、組織変更に伴いVPoEとして帰ってきたのです。経験豊かなbashは、成長期なりの回し方をいち早く発明し、組織の構造を直すことに熱心でした。

僕はそんな彼らのように機転をきかせることができず、結果としてはCCOを降りることになりました。通常、執行役員は自身の肩書を失うと、役割は全て消えてしまうものです。しかし、当時の経営陣(というかCEO)には優しさがあって、肩書は消えるけど役割はそのまま残す感じになり、引き続きエンジニアリング組織の仕事をさせてもらえることになりました。

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2017年 pixiv meetupにて、左から僕、edvakf、bash

そんな感じで、福岡へ発ったCTO、帰ってきたVPoE、肩書を失ったCCOという、なかなかに不思議な3人組でエンジニアリング組織を運営することになりました。

成長期への転換に対する成長痛はどんどん拡大していき、僕らも含め経営メンバーも成長期に最適化されていく形でゴロゴロっと配置や役割が変わっていきました。経営者の中には、新しく入ってきた者もいたし、去っていった者もいました。僕自身もいずれは抜けるのかもしれない、ということを強く意識しましたし。転換期をきっかけに、自分の向き不向きを自覚した経営者、現場のリーダーもいたんじゃないかと思います。

CCO時代に考えた僕のマニュフェストは、僕なりには会社の状況をみて適切なゴール設定したつもりです。しかし、実際には周囲や会社に対する読みが甘かったように思えます。「成長期にふさわしいエンジニアリング組織に達するには」という前提が必要だったのに、そういう観点がすっぽりと抜け落ちていたのでした。僕ら3人も、経営側も、エンジニアたちも、皆が必要としていたことにも関わらず。

会社の施策や改善案は、深く考えずにやると表面的なところをなぞりがちです。社員だけ、あるいは経営だけ、に生じた部分的な問題を短絡的に解決しようとすれば、実態にあわない絵に描いた餅になり、現場も経営も自分ごとにならない、という問題にぶつかることになります。

組織改善のゴール設定は、会社・事業のステージと状態から逆算して描かなくてはいけないということを学んだのでした。つまりこれは、今この時点、もしくは今後周りから必要とされるであろう必然的なことをゴールにしなくてはいけないという、当たり前のことだけど抜け落ちがちな教訓です。

まぁこれに関しては、僕に限らず多くの若手マネージャー勢が流行りどころの手法を採用しようと走り回り、そしてズルズルとハマっていたように思えます。誰しもが一度は通る轍(?)のようなものなのかもしれませんね…!

6. 大きな改革は、小さな活動から

転換期の成長痛が進む中、エンジニアリング組織向けの活動計画は四半期単位でさえもFixさせるのが困難になり、何も動かせない空白の期間もありました。僕もエンジニアのみんなに、本当にすまないという気持ちでいました。僕もedvakfもbashも、2017年の当時を本当に辛かったと振り返ります。「すっかり焼け野原になったなー」なんて話していたことを、今でも鮮明に思い出すことができます。

散々なことを言ってるようにはみえますが、実際のところはそんなに酷いものではなく、地道に蒔いていた種が芽吹きつつありました。

僕自身は、色々とわきまえて活動するようにはしていたものの、オウンドメディア「pixiv inside」のリニューアルしたり、技術力評価に非マネージャーからの判断軸を取り込む「360度評価制度」を盛り込んでみたり。また、テックカンファレンスへのスポンサーや出展も、場当たり的にするのではなく「ポートフォリオ化」させたり。エンジニア勉強会やハッカソンはピクシブとして初となる「企業カンファレンス」へと進化させるなど、スキをみつけては発展させていきました。

ピクシブの成長期に必要な基礎はできたのかな…!肩書を失っておいてもなお、ここまでやらせてもらえたことには感謝しかありません!

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2019年、pixiv TECH SALONでの発表の様子

edvakfも福岡オフィス開設に決着をつけて東京へ戻り、「テックリード制度」という会社全体の技術的な意思決定を集約する体制を作りました。CTOとしてエンジニアリング組織を動かし始め、またCTOとして働くには最高の環境を作り上げていったのでした。

一方でbashは「エンジニアギルド」という仕組みを作って、人事ツール(採用・評価・育成・配置)の組織的運営ができる環境を整えていきました。こちらもVPoEとして仕事するには最高の環境です。

成長期のエンジニアリング組織で必要なことの実現に向けて、まっすぐと突き進んでいました。

この2つの新しい取り組みに、僕は最初期から関わっていたのですが、立ち上げ時には現場からは「これは一体何?」「無駄な仕事が増えるの?」ぐらいの温度感で見られていたことが印象的です。経営課題を倒すために組織の統率が求められる僕らからすると「よくもまぁ体制を持たずに走ってこれたな!」と思えるぐらいの大きな変化なのですが、現場からみるとそう簡単に受け入れられるものでもないでしょう。

現場が怒り出したり、謎の横槍が入ってきたりもして。しかし彼らは、それを面倒だなんて思わず、一人一人に真摯に時間をかけて対応し、少しずつ理解を得てもらっていたように思えます。こうして、体制としての安定を確立していったように思います。

大きな改革の裏側は、草の根運動的な地道な活動によって成り立っていました。2人が体制立ち上げを終えたころには、会社も成長期への転換をすっかり終えて、落ちつきを取り戻していました。満を期して2人は、その役割を次の世代へと引き継いだのでした。

7. 役割とは、バトンを渡すレースである

CTO edvakfは「最高の開発体制を作った」と言いました。転換の時期に望まれる最高の活躍だったと言えるでしょう。VPoE bashも同様のことを成し遂げたと思います。彼らは惜しむこと無く、自分の役割を次に最も相応しい人へと引き継ぎました。

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2020年、左は新CTO harukasan、右はNewsPicksのCTOになったedvakf(出展: pixiv inside

僕はというと、2人とは少し遅れましたが、新CTOと新VPoEへと徐々に引き継ぎが進んでいきました。毎回僕が主導して進めていたテックカンファレンス、エンジニアアルバイトの運営など、なんでこんな役割を僕が拾ってたんだ…!と言われるようなことさえも、いよいよ次世代への引き継が進められました。やたらパワーがある僕の稟議ルートも、どんどん権限整理されていきました。

創業期から残っていたものが、これで消えて無くなったんだと思うと、すこし寂しい気持ちにもなります。しかし、僕が作ってきたものが、滅びることなく新CTOのharukasanと新VPoEの店本さんの手に渡り、彼らによって発展的に運営されることになったことを、とても嬉しく思います。創業期から成長期へ、転換時期を乗り越えたエンジニアリング組織マネージャー3人組は、その仕事を無事に終えたということではないでしょうか。

「自分が知っていること以上のことを、組織では実現できない」という原則は、同じ人が同じイスに座り続けることによる多様性の欠如を意味します。その時の会社のステージと状態を見極めて、必要な人へ引き継いでいけることが、会社の成長にとって必要な変化をもたらすというものでしょう。

ただし、実際には次の人へ引き継ぐというのはそんなに簡単なものではありません。誰かの引き継ぎなんて、喜んでやりたいという人は早々に表れないものです。何もなければ嫌がられるに決まっていますから、引き継ぎが魅力的にみえるよう、努力し続けなくてはいけないというものです。

役割を与えられるということは、何とか誰かにそのバトンを受け取ってもらえるようにするレースがスタートしたと言って過言ではないでしょう。「最高の開発体制を作る」というedvakfのマニュフェストもまた、このレースを攻略するためのゴールそのものと言えるのではないでしょうか。

8. 転んでも、人間というのは案外ただで起き上がることはない

時代は少し遡り2017年のこと。僕がCCOを降りることになった時「僕はこれから一体どうなるんだろう」なんて思い悩み苦しんでいました。

責任っていうのは、自分のキャリアを捨てるという覚悟なわけですけど。とはいえ、実際にそれ捨てるという状況に直面すると、マジでこんな簡単に終わってしまうのー?辛ぇぇってなりますよね。しかし今となっては、一回ぐらいは自分のキャリアを殺しておくのも悪くないなと、そんな風にも思えるようになりました。

考えてもみてください。

エンジニアという肩書がついていると、技術的なことをやらなくてはいけないとか、技術っぽい役割を与えなくてはいけないとか、そんな先入観に自分も周りも支配されるものです。しかも、キャリアを積み上げると、どんどん別のことやることが難しくなっていくわけでして。だからこそ、30代前半でキャリアリセットを要求されるという一見して不利にもみえるこの状況は、むしろチャンスなのではと思い始めたわけです。

そのように気持ちが切り替わってからは、自分でもびっくりするほどあっさりと「新しい自分探しの旅」というのに熱中しました。

僕の肩書は四半期ごとにコロコロと変わっていき、技術子会社の役員やら、事業責任者やら、テックリードやら、色んな名前が増えたり減ったりを繰り返し、名刺もしょっちゅう刷り直します。この時期のことを業務経歴書として正確にまとめることは難しいほど、混沌としていました。

こうした中で、経営サイドからは一貫して「事業を立て直して」「新チームの立ち上げをして」と、そういう0→1的なことをお願いされることになりました。いつのまにかそれが会社内で僕の定位置みたいになっていました。「事業開発者」という、新しい僕の専門領域を獲得した瞬間でした。

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2018年、pixiv Sketch事業責任者としてMicrosoftのインタビューを受ける様子

失敗を自分の仕事の必然に変えていけば、もっと高い所へジャンプできる、なんてポジティブな言い方をすることもあります。しかし実際には、失敗してグダグダになったとしても、後になると「あれは必然だった」という思い出になっているものです。人は転んだときに、そこまでしぶとく頑張らなくても、ただではない状態で起き上がってしまうものなんですよね。僕がポジティブ過ぎるだけなのかもしれないですが…!

失敗した時に考えるべきは「起き上がり方だけ」なんだなって。そして、僕自身がチームの中で、失敗をネガティブと捉え次のチャンスは無いという環境を作らないようにしたいとも考えたりします。失敗癖があると、ちょっと考えますが…!

9. 自分が楽をしたいのか、あるいは、楽になることを優先したいのか

事業マネージャーとして最初に関わった2つは、経営から「このままだとチーム解散だからね?」なんてことを言われる、そんな状況に追い込まれていたプロダクトでした。要は事業の立て直し案件です。

経営側に厳しいことを言われ、処刑所からシャバにでも戻ってきたような精神状態で、現場にも無理なことをお願いしてなんとか成果をだしてもらったり。それで、現場からは「ふざけんなよお前!」とか、なかなかキツイことを言われたりしたものです。脇目も振らず、めちゃくちゃ嫌われるようなこともやって、チームから孤立していくようなこともありました。(※ 今はコンプライアンスもしっかりしているし、みんなとも後で仲直りもしています!)

こんなやばい状況になるのは、不良事業ならではのことでしょう。普通のプロジェクトではまぁ、こんな酷いことにはならないものです。しかしながら、当時の現場の人間がどう思っているのか別として、いずれの事業もなんとか存続には成功したし、どちらの事業も退職者ゼロを貫きました。求められたことには応えたんですね。ただ、そこに対しては「いやいやそれはお前の運が良いだけだろ」って言われてしまう、、、これもまたマネジメントの辛いところです。

そんな感じで、部下に厳しい対応をしたり、その上で得た結果を運が良かったとか言われて。僕も人の心を持っているわけですから、駆け出しの頃には「なんかスッキリしないなー」「ずっとこんな感じか、キツイなぁ」という感想を抱いたものです。

ただ後に、自分が格好つけることばかり考えたり、変なプライドを持ってしまっているうちは、そんな小さな感想しか抱けなものなんだなってことにも気が付きます。くだらない悩みを抱えていたものだなぁと、そんな風に今なら思えるものです。

チャンスはまだいくらでも残されているのに、調子が良いことを言って事業や企画を終わらせたり。実は問題だらけなのに、何も起きていないような見せ方をして退職者が続出する組織を作ったり。こういうのって、マネージャー自身が楽になることだけを優先させたら、めちゃくちゃ簡単にできてしまうんですよね。

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Backlog World - Good Project Award 2017 (出展: gihyo.jp)

マネージャーが楽になることは目指していくべきだし、自分がいなくても現場が勝手に上手く回ることを目指すことは間違いなく正しいことだと思います。そうしないと事業そのものを大きくできません。しかし、自分が楽になることだけを優先すると、事業や組織を犠牲にして無限に楽になれてしまう、それがマネージャーという生き物なわけです。

マネジメントにおける人間らしい葛藤というのは、「事業・会社を良くすることのために動くべきか」「自分が楽になることを優先してしまうのか」の2択に収束するように思えます。

それは、経営側に近づくほど「そんな小さなことにイチイチ悩んでる場合じゃねぇ!」ってなりがちで。これが世に言う「偉くなるほど謎に怖くみえる」という現象の正体。事業・組織の運営からやってくるジレンマも、自分が経験してみることで発見できたのでした。

こういうのって、できればCCOを拝命する前に知りたかったなぁ…!

10. 少し事業領域がズレると、自身の専門性に対する価値が上がる

ピクシブのビジネス面を強化しようと入社してきた、現CIOの加藤さんと出会い、彼と一緒に仕事できたことは本当に良かった。めちゃくちゃ良い経験を積ませて頂けました。ビジネス提案書を作って、事業計画書を作って、それを一緒に見せに行って、毎日毎日何度もそんなことを繰り返して、事業開発の面白さにどんどんのめり込ませてくれました。

ツール事業(pixiv Sketch)、ライブ事業(pixiv Sketch LIVE)、3DCG事業(VRoid)、ポイント事業(pixiv point)、Wiki事業(ピクシブ百科事典)、海外事業、法務、コンテンツ製作事業など。両手では数えられないほど、多種多様な組織・事業づくりをやらせて頂きました。最後には、テレビ局と仕事作ったり、インフルエンサーマーケティングという流行りどころの宣伝商材を作ってみたり、音楽レーベルとコンテンツ製作を始めたり、サンフランシスコの企業とビジネス交渉事したり。

技術という畑から、どこまでもどこまでも遠くまで飛んでいきました。

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2020年、アメリカのAnime Expo Liteにリモート登壇した様子

技術からすごく離れた領域に行って、そこでもなお「僕はソフトウェアエンジニアなんですよね」と言えるのは、良い武器になるということにも気が付きました。今月ついにアップルを超えて時価総額世界一位になったマイクロソフトですが、同社のCEOサティア・ナデラも自身がエンジニア出身であることを自己ブランドにしていますしね。

エンジニアの輪の中にいたほうが、ハイコンテキストな話もできるし、楽だと感じたりするものです。外に出たいという気持ちも起こりにくいものです。しかし、自身の専門に対する知識が浅い領域へ飛び出すと、今まで大して差別化されていないことがレア扱いを受けます。ビジネス目線でみると、これは物凄くまっとうな戦略なのですが、専門性の高い集団から抜けたくないというジレンマと戦うという点で、意外と侮れない戦略にも思えました。

千本ノックのように、コンテンツ業界の中で事業・チーム作りを進めていると、ついには経営からも「川田って、事業作る方が絶対に向いてると思うけどなぁ」なんて言われるようになりました。まだまだ全然ダメダメなのですが、事業開発者というエンジニアとは違う役割の自分に対して、ほんの少しだけ自信が持てたような気がしました。

次のステージへ

ピクシブでは、創業期から成長期という転換のタイミングで、マネジメントの最前線で経験するというかなり貴重な体験をさせてもらいました。転換を終え、全く違う会社へと姿を変えたピクシブ。経営への心理的安全性が高まり、現場はより落ち着いて仕事に集中し、事業の成長スピードもどんどん増していく。僕が働いてきたこの6年の中で、今が一番良い状況にあると自信をもって言えます。次の6年後はもっと良い会社になっているに違いありません。

今後、僕が世の中に対してより良い価値を発揮していくには、どういう働き方が良いのか?考え抜いた結果として、エンジニアリング組織と事業開発の両方ができるポジションではないかと思いました。

これは、僕自身がエンジニア出身だから感じることなのかもしれないのですが。インターネットの事業というのは、事業のケイパビリティを技術によって置き換えていくという、たったそれだけの循環によって成り立っていると思っていて。エンタメ産業においても、ネットで事業をやっている以上は、そういう目線で業界を捉えないと厳しいと感じていました。

なので、ピクシブはめちゃくちゃ良い状態であり、名残惜しさは死ぬほどあるわけですが。またエンジニアリング組織もやりたいという想いもあり、次のチャレンジのためピクシブを去るという決断をしたのでした。

ピクシブに入社を決めた最大の決め手は、「これからこの会社の事業は世界で伸びる」と確信していたからです。実際に、2014年の当時からは信じられないぐらいに状況も変わっていまして、アニメの製作委員会に流れ込んでくる海外資本の割合は、Netflixのような米国、Bilibiliのような中国を中心として爆発的に増えました。ネットそのものも発展したし、ピクシブの海外比率は伸び続けいよいよグローバルサービスの仲間入りでしょう。僕の想像した通りに世の中が進んでいるように思えます。

「世界でNo.1をとりたい」というのが僕の仕事のゴールです。

少なくとも、僕がこの6年4ヶ月熱心に取り組んできたサブカルチャー・エンターテイメント領域は絶対に勝てると確信しています。なので、今後もこの業界を出るつもりはありませんし、次に行く会社も同じような業界です。この業界で、世界で勝てる何かを生み出したいという想いがありますから、簡単には抜けることはないでしょう。

…ということで、今後も今僕と関わっている人たちとは仕事をさせていただくことになりそうです。引き続き、よろしくお願いします!

それと最後に、Wish Listはこちらです!
www.amazon.jp

このブログの筆者について

川田 寛

NTTグループを経て、ピクシブ株式会社にて事業開発者とエンジニアマネージャーとして新規事業作りやエンジニアリング組織の運営に関わっていました。ネットでは「ふろしき」と呼ばれています。

このブログでは、主に「インターネット事業のビジネス基本知識」「Webテクノロジーのトレンド」「エンジニア組織の設計手法」について、経験談を交えつつ解説していきます。私と話をしてみたいという方は、以下のフォームより気軽にご連絡ください。

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